けっとバス

めーる


 「ありがとうございます」「ごめんなさい」は人生においてとても大切で素敵な表現です。・・・    2022/5/29


 左眼白内障の手術を受けるため福大病院で精密検査を受けると線が歪んで見えることが分かり黄斑部網膜上膜・黄斑部網膜牽引症候群と診断されました。
これは老化現象によるものです。62才ともなれば致し方ないことですね。

 先日の5月18日入院、翌19日手術となり、5月23日に退院いたしました。
家族はじめ多くの方から心配と励ましをいただき感謝しています。ありがとうございました。
 白内障手術と一緒に硝子体手術を全身麻酔のうえ1時間30分の手術を受けました。
難しい手術らしく網膜に影響を与えると術後うつ伏せの入院生活(前回の網膜剥離手術はうつ伏せでした)になることも覚悟していましたが、無事手術も成功し術後も経過は良好で左眼に眼帯があるものの不自由はなく大好きな読書もでき食事も普通食を美味しく毎日いただきました。
 コロナ禍のなかドクタ−や看護師他関係者の献身的で「ありがとうございます」 「ごめんない」がいっぱい溢れ、毎日私の心を穏やかに心地よく満たしてくれていました。

 今の「けっとバス」にもたくさんの「ありがとうございます」「ごめなさい」が溢れ満たされています。
毎回「けっとバス」の活動を楽しみに参加していただいています。喜んでいただいていることが、とても嬉しく感謝の念に堪えません。

 私の人生の経験から「ありがとうございます」「ごめんなさい」は年上、年下、大人子ども関係なく相手を尊重し、こころから誠実に言葉にすることが大切で人と人との繋がり、コミュニケ−ションの基本です。
「ありがとうございます」「ごめんなさい」は、直ぐに言葉にして伝える事がとても重要です。後回しが経験上、一番マズイです。
 たとえば、ご主人や奥さん、子どもさんや友人など親しい間柄や上司と部下と言った間柄になると「きっと言わなくても分かってくれるはず、後から言えばきっと大丈夫なはず。」ましてや「言わなくても大丈夫でしょう。」と言う自分本位な考え方がいずれ歪となっていきます。

 私は、感謝の気持ちを常に大切に持ち、言葉として直ぐに表現できるように習慣づける事を意識して実行してから少しづつ確実に人生が変わりました。
 10年前の網膜剥離手術入院の際に小林正観さんの本からコップの中に水が半分入った状態を「半分もあり、ありがとうございます」と捉え感謝するか、もしくは、「半分しかない」と不平不満や愚痴・悪口を言うかで人生観は変わります。と、ありました。
 私自身が前者の心構えで人生を変えようと人格を磨くことに努めてきました。
変えることに努力して良かったです。
今ではそんな自分が格好良く大好きです。とてもありがたい人生だぁと感謝しています。

 人は生まれ変われるんだったら生きているうちに生まれ変わってください。

 私は「けっとバス」のおかげで多くの尊敬と敬意ある仲間との僥倖から昔の私と今の私は180度、心も身体も変わっています。
 人に対する優しさや人との繋がりの美しさを学び、人格を磨き成長させていただいています。その殆どが私より年下の若者からです。ありがとうございます。

 バスケの経験は中学3年間しかない私を「けっとバス」は、温かく受け入れていただき、若い頃はスピ−ドと体力で技術を補っていましたが、両膝に爆弾を抱え、両眼は網膜剥離による視野狭小とまさに満身創痍に加え、老化に伴い思うように動けないことを度々実感し皆さんに迷惑を掛けている感は拭えません。
それでもバスケができることを喜んでいただいている事がとても励みになり感謝しています。ありがとうございます。

 「けっとバス」では、誰もがシュ−トを落しても、ミスをしても責める人がいません。
なぜなら完璧な人は存在しません。誰でもミスをします。素直にミスを認め何回もチャレンジすることで失敗が人生の糧となり人は成長していきます。
 何よりも楽しむことの意味をみんなが知っているからです。
素晴しいですね。尊いことですね。誇りに感じています。
 皆さんが楽しんで喜んで爽快な汗を流した時の笑顔が大好きです。
長年続けて良かったなぁと思う瞬間です。「けっとバス」は、私にとって宝物で何物にも替え難い財産となっています。

 プレ−中に、どう動いたら良いか判断に迷う事が少なくありません。最も解かっていても身体が動きません(笑)
下手の横好きで動きもままならない老体に嫌な顔をせず付き合っていただいている事に心から感謝しています。ありがとうございます。
 これからも皆さんが楽しみに体育館に長く来ていただける様に努めて参ります。
また、私自身も健康第一に自己管理を怠らず、筋トレを継続し老化に抗いながら70才プレ−を目標にこれからも謙虚に誠実に人生を歩んで行きます。

 ここまで長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。感謝いたします。
入院により2回続けて活動がお休みになりましたね。
早く皆さんにお会いして一緒にバスケがしたくてたまりません。
年甲斐も無くワクワクしています(笑)


34年ぶりの再開・・・    2021/4/25


 4月18日日曜日に「けっとバス」創設者のツツミさんと当初からのメンバ− マツモトさん夫妻との34年ぶりの 再開は、まさにドラマか小説のようでした。
あらためて、ツツミさんが「けっとバス」を遺してくれたことに感謝の念と今でも活動を継続していることに驚かれ、 お逢いできたことは感に堪えません。
懐かしく、素敵な最高のひとときでした。

 当時の懐かしい話はジグソ−パズルの抜けたピ−スを絶対的記憶力でマツモトさんが補い納得しながら タイムスリップしていきました。

 創設当初は、「シティ情報ふくおか」(情報誌)でメンバ−を募り市民体育館・ももち体育館・南体育館に使用申し込みを して許可をもらい18時から21時まで活動していたとのことです。
 当時カセットテ−プを用意して音楽を聴きながらバスケをしていたようですが、本当は18時、19時、20時となっても 人が集まらず、寂しさを紛らわすために音楽を鳴らしていたと聞いて運営責任者のたいへんさと人知れぬ苦労をされた のだなぁと思いました。
私自身も同じ立場に立なり、みんなが楽しくバスケができるための準備と環境を整えることに労を惜しまず遂げて行こう と思いました。
 多趣味のツツミさんは、佐賀・宮崎と転勤してからもバスケ・テニス・サックスといろんな分野にアクティブに活動されて いたようです。
 件の問答の際は、上手く言葉を紡ぐことができませんがおおらかな性格のツツミさんから発せられる一言一言にみんなでお腹が よじれるくらいに笑い楽しみました。
マツモトさん夫妻の結婚披露宴で少年隊の「君だけに」をメインで踊ったことを懐かしく話され目を細めていました。

 そのマツモトさん夫妻が当時25才で結婚式を挙げられました。若輩な私も列席させていだき感謝です。
マツモトさんが網膜はく離で失明することは、極限られて人にしか伝えてなかったようです。 もちろん私は、ずっと後になって知ることになるのです。
 おふたりの結婚へ踏み切る勇気と覚悟、結婚を受け入れ人生を共に歩む覚悟はすごいことで素晴しく尊敬の念に堪えません。
 失明後、3年間はり・灸の専門学校に通ったのち卒業後に南区長丘で開業し娘さん3人にも恵まれ家族を守り幸せな家庭を築いています。
 当人は、経緯をあたり前のように話されますがその歩みの苦難は想像に難しくありません。
 眼が見えなくても、手や耳、身体全体で繊細に神経を注ぎ感じとっているのでしょう。 ホ−ムペ−ジも作成してパソコンも自由に扱い、情報も収集している様を感嘆しながら拝見させていただきました。
 「ほんとうに大切なものは見えないものです。」星の王子さまの一フレ−ズを思い出しました。

 最後に、アラカンが揃って記念にとスマホで写真を撮るまでは良いのですがLINE交換となるとすんなりいきません(笑)
老眼で触れる指先もぎこちなく、子どもたちが見ていたらきっと滑稽に映っていたでしょうね。
それでも、上手くいかないスマホと格闘しながらも何とか写真を大切に収めました。

 34年ぶりの再会は、こころが温まり穏やかな気持ちにさせていただきました。
ありがとうございました。


還暦を迎えて・・・    2020/10/18


 満身創痍のなか60もの年を重ねコ−トを走り抜け、バスカンを決めている自分のプレ−を メタボだった30代の頃からしたら夢のようです。
幸せを実感します。
素晴しい皆さんとの僥倖を感謝いたします。

 皆さんは、私よりもずいぶん歳が離れていながらも人として尊敬できる仲間が集っている今を とても嬉しく思います。
ありがとうございます。

 膝の治療をしていただいている福大病院整形外科医のM山先生から「河津さんは65才まではバスケを 続けて欲しい」と言われました。とても嬉しい言葉でたいへん励みになります。
 65才でのプレ−を目標にし、70才までの挑戦を志したいと思います。ちと、無謀ですかね。

 自己管理に努め、筋トレを継続し老化に抗いながら、これからも謙虚に誠実に人生を歩み続けたて行きます。


原点回帰・・・    2018/9/22


 スポ−ツにケガは付き物とは言いますが、今年は傷害が多く一日で3人もの 傷害が発生したときはとても動揺し自責の念にかられてしまいました。

久方ぶりに参加したセンタ−の山根さんがミドルの位置からジャンプシュ−トをした際に 山根さんより背の低い選手がシュ−トブロックに行ったときに・・・私にはシュ−トブロックを 目的としたのでは無く邪魔をしてシュ−トが落ちることを願ったような安易でずるいプレ−に見えました。
その瞬間、山根さんの着地地点にブロックに行った選手の足が入りその足の上に乗った山根さんは、身体が崩れるように 床に落ちていき重度の捻挫を起こしてしまいました。
永くバスケに携わってきましたが初めての光景で残念です。 事故回避のためDFは触れ合いを避けることも必要です。楽しくバスケをすることに狡猾なプレ−は、 必要ありません。
このときの山根さんが翌日私にLINEで「残念ながら相当に痛いです。一番願うのは、あの方が 今回のことから学んで、またけっとバスでバスケットを楽しく続けてもらうことです。」と本人が一番辛い 思いをしているにもかかわらず相手ことを優しく思いやる人柄に尊敬いたします。 生活と仕事に支障があることは想像に難しくありません。たいへんかと思いますが、しっかり治して また、体育館に来られることを願っています。

wakaちゃんの場合もドライブのときDFの足に乗り重度の捻挫です。DFの基本を習得していれば起こらなかった事故ではと、 こころが痛み悩み反省の日々を送っていました。
そんな私の気持ちに寄り添うようにZUKIさんが「以前のように アップで3対2 3対3をしてからゲ−ムに入ってはどうですか?」と提案がありました。
まさにこころが晴れ溜飲が 下がる思いでした。ありがとうございます。感謝です。
原点回帰ですね。常に初心を忘れずにいたいものです。これからは、アップとして3対2、3対3をしてから ゲ−ムをいっぱい楽しみたいと思います。


偶然ではなく・・・    2016/10/28


 ヒ−ロ−ズ創立10周年記念誌寄稿のご依頼を受けました。光栄なことです。
発行前に関係者の了解を得て先行掲示いたします。 読んでいただければ嬉しいです。
内容は、下記の通りです。

 総合地域スポ−ツクラブHEROES 創立10周年 おめでとうございます。
「HEROES」の日々の活動と活躍を心よりお祝い申し上げます。

 平成21年8月の「ふれあい・まちづくり福岡地域バスケットボ−ルフェスタ」では、私たち「けっとバス」にも声を掛けていただき、ありがとうございました。  バスケのゲ−ムは元より車椅子バスケの体験は、とても貴重な経験となりました。 何より楽しかったですね。とても良かったです。
 「けっとバス」には、今でも鳴海さんや梅野さんが一緒にバスケを楽しんでいます。ふたりが成長し上手くなっていく姿がとても嬉しいですね。
 ここで、障がいの事に触れるのは少し抵抗がありますが、ふたりが障がい者であることを問う人は誰もいません。誰もが心優しく手を差し伸べ、声掛けをしています。
何より同じ仲間として必要とし信頼してみんながパスを供給して、それに応えようと鳴海さんも梅野さんも一生懸命、大切にシュ−トを放っています。 とてもすてきな光景です。
  先日もいつもと変わらぬ挨拶をし、声掛けする心優しい仲間に鳴海さんと梅野さんのことを心に掛けてくれて、ありがとうと話しました。
彼は、一瞬怪訝そうな顔をして「障がいがあっても別に特別なことではないでしょ。 だって誰だって急に障がい者になることもあるでしょ。」と言われ、私自身が恥ずかしくなる思いとすてきな仲間の存在に嬉しくなり幸せな気持ちになりました。  
 鳴海さんと梅野さんが私たちと一緒にバスケをしているのは、決して偶然ではなく、 きっと人に優しく大切にする心を教えてくれているのだと感じています。
 何よりも私の心を成長させていただいています。
 「HEROES」と「けっとバス」のご縁を心より感謝しています。   ありがとうございます。
 これからもみなさまの益々の活躍とご健闘を祈り、笑顔を忘れず楽しくバスケに接していかれることを心より願っています。


外野席    2014/6/6


 けっとバスは、みんなで一緒に楽しむことをモット−としています。分け隔て無くいろんな方が いろんな職種の方が参加していただいています。毎回同シチュエ−ションでないことが 飽きることなくおもしろいところで34年と永い間みなさんに支えられ続けてこられたと感謝しています。
 4年前に入会された西日本新聞社の記者山根崇さんが、先日のバスケのことを西スポのコラム欄「外野席」に 掲載していただきました。とても恐縮する思いながら感銘を受けたのでブログとして山根さんのコラムを残しておこうと思います。
以下原文のまま

2014/6/6 西スポ 外野席
 福岡市内で活動するバスケットボ−ルサ−クルに、数ヶ月ぶりに足を運んだ。発足から30年を越え、10代から 50代までの男女が幅広く参加。数年前からお世話になっている。
 代表は今年54歳を迎えた男性。3年前に網膜剥離の手術を受けたが、体力、熱意は衰えず、メタボな私より 断然運動量が多い。このサ−クルで尊敬できるのは、知的障害者を積極的に受け入れている点だ。
 誰にでもバスケットを楽しんでもらおうというのがモット−。この日の出席者15人のうち1人が障害のある 若い男性だった。試合形式になると私と同じチ−ムに。初めて一緒にプレ−するので、事前に軽く打ち合わせを した。打ち合わせ通りにパスを出すと、彼は次々にシュ−トを決める。その姿には障害をを感じさせなかった。
 代表者は「障害のある子が競技を通じて他の参加者と自然に打ち解けられるのがいい」と目を細めた。彼の 得点後、ハイタッチを求めると、次第に向こうから先に手を出してくれるようになったのがうれしかった。 (山根崇)


一病息災    2013/4/19


 ありがたことです。本日53才になりました。
今でもバスケが楽しめている人生にけっとバスの仲間や家族に感謝です。現在右膝半月板損傷と老化(笑) のため若い頃のようなパフォ−マンスができなくなりましたが、膝の治療は、 福大病院M山先生のおかげで楽しくバスケができることに感謝です。
 以前にもお話しましたが、30代前半で通風の発作を起こし、生活習慣を改善し肉体改造をおこない 健康な今があると思うとこれも良かったかなと思います。 何より心が健康になり、自分の体が気に入っています(笑)
 昨年は生まれて始めて毛虫に刺されました(笑)首筋から背中腹廻りと腫れ上がり痒くてたいへんでした。このときに お世話になった皮膚科の先生がY川先生です。Y川先生は、九大病院勤務時にけっとバスに入会された笑顔の素敵な女性です。 現在は、南区で開業され忙しくなかなかバスケに参加できないようですが、私のバスケ中の網膜はく離や血尿のときなど夜中に相談して も必ず対処対応をしていただいて、どれほど心が落ちついたかわかりません。ありがたことです。感謝です。
すごっく素晴らしい人たちに出逢い助けられています。ありがとうございます。
これからもたくさん楽しいことや素晴らしい出逢いががありそうでワクワクしています。(^-^)/


人生何事も思うようにいかないものです。・・・    2012/8/26


 昨日のバスケは、ゲ-ムの入り方、ゲ-ム中の中途半端な気持ちとプレ-が最低最悪の状態でフラストレ-ションが溜まってしまいました。 意味なくコ-トを走り回り、レシ-ブするわけでもなく、空いてるスペ-スに飛び込むわけでもなく、ただただ走ってシュ-トはことごとくはずし、 リング下のシュ-トさえ落とす始末でした。
 バスケは、トラデッションゲ-ムです。切り替えが大事と解かっていながら体がいうことききませんでした。楽しめていません(泣) 何度かゲ-ム中に修正しようと心がけましたが、少しパニックになっていまたかも・・・。
 福大病院で膝のメディカルチェックをしてもらった後なので、これまで以上に入念にストレッチに時間をかけました。 マレットフィンガ-は治癒したのですが、治療中使用していた指伸展装具をバスケのプレ-中は使用するように言われていましたが、 家に忘れてしました。テ-ピングでとりあえず処置して大丈夫だろうと思いましたが、ゲ-ムが始まると不安が走っていました。 不安は、膝の痛みへと連鎖していました。
 今までは、プレ-中痛みなどあっても気にしないで今のそのときのプレ-に集中していましたが、昨日は指大丈夫だろうか? 明日膝の痛みがないとイイなぁ  次回も痛みなくバスケできた方がイイようなぁ・・・なんて思う気持ちに膝に負担のかからないように無意識に加減してプレ-して いたようです。
 自分の事、自分の体のことしか考えてないプレ-は、周りが見えなく周りが何をしようとしているのか解からなく自己中心的なプレ-だったと 反省しています。ごめんなさい。  もっとも両目の網膜はく離の手術をして以来、視野が極端に狭くなり距離感のずれもありますが、昨日はバスケを楽しめていない自分に 腹だたしくなります。

 人生何事も思うようにいかないものです。だからこそ過去を後悔することをせず、未来を考え不安に思うことを止め 今のその時、瞬間を一生懸命に念を入れてプレ-し生きることを心がけていこうと思います。 念は、今の心と書きます。念を入れる事が大事です。でも結果が思うようにいかないことも少なくありません。
そのときは、受け入れることが大事だと思っています。 おのずと道は開けてくると思うし、人生のシナリオは出来上がっているはずです。
 次回のバスケは、めちゃ楽しもう(^0^)/


満身創痍の代表・・・素晴らしい出逢い    2012/8/22


 5月にケガをして福大病院にてI河先生のもと治療中だったマレットフィンガ- 昨日治癒と言われました。ありがたいことです(^-^)
 I河先生の的確な処置に生活・バスケに不自由なくプレ-できました。治療して頂くことが楽しいと 思うぐらい人として素晴らしい先生でした。

 代表の30代 暴飲暴食、仲間と夜中麻雀、接待で週2〜3回中州のクラブへの生活は、体に異常をきたし痛風の発作が でて、体重も現在より10kg以上も太っておりズボンもウェスト82pのものをはいていました(笑) メタボですね。(当時、若くて動けるから 問題ないと錯覚していました。) ジャンプして着地したときや、片足で踏み込んだり踏み切ったとき相当膝に負担がかかり悲鳴をあげていました。 この頃から膝に水が溜まりはじめ、痛みが引かなくなり、高くジャンプして着地することが怖くなっていました。 バスケも潮時かなと思っていましたが、やっぱバスケが好きで止められそうにありません。 バスケを続けたい思いから・・・40代からの肉体改造への挑戦です。

 40代で降雨外の雪の日も風が強い日でも 有酸素運動として脂肪が燃焼し始める20分に対して倍の40分を最初は、膝の痛みを感じつつも走り続ける日々が続きました。 4〜5kgは、すぐに減量できるのですが、それ以後がなかなか減りません。トレ-ナ-の竹村さんに相談したら食生活を変えたほうが 良いと言われました。
 朝食をしっかり食べて、夜を控えめにすることです。 このころから、朝食のキャベツの千切りが上手くなっていき自然と夜の晩酌がなくなり、見事減量に成功しました。

 しかしながら50代になると年齢から膝の痛みが引きにくくなっていました・・肉体改造のセカンドステ-ジの挑戦です。 膝の位置高さが下がっています。大腿四頭筋を鍛えるべく筋トレを昨年の合宿以降始めました。 バスケのパフォ-マンスに納得がいった翌日ほど痛みが完全に引くことなく、今回I河先生に相談してみました。 整形外科の膝の専門で バスケ経験のあるM山先生を紹介して頂きメディカルチェックして頂きました。
 膝に爆弾をかかえている感じの私にはなんとも頼もしい限りです。ありがたいことです。 M山先生長崎の中学からバスケを続けてこられ 大学生のころは、福岡市内の小学校でミニバスの指導をされていたそうです。M山先生も人として魅力を感じる素晴らしい先生です。 厚かましいと思ったのですが、「けっとバス」の予定表を持参して手渡しました。 もっともM山先生は、私に会う前になんとこのHPをみていてくれました。(バシさんありがとう)涙がでるくらい嬉しかったですね。 多忙のM山先生が、いつの日かひょっこり「けっとバス」に来ていただけるような気がしてなりません。
 さて、メディカルチェックの結果はやはり痛みは加齢からで、太らないように自己管理と楽しむバスケならこのままで大丈夫と言われました。
最後に痛みをやわらげるため関節内注射ヒアルロン酸注射を両膝にして頂きました。右膝の注射チョット痛かったなぁ。(水を抜くより楽)
何かあったいつでも連絡してくださいと優しい言葉とアドレスを教えて頂きました。
今日もバスケを通じて素晴らしい人生の出逢いがありました。 感謝です。

Prologue       2009/1/7


けっとバス代表 河津

 それは、私が大学2年のときでした。 下宿のみんなと暇を持て余していると、バレーボール経験者が百道体育館でバレーボールしようと声が掛かり運動することになったのです。

 体育館の隣のコートではバスケをしていました。「久々にバスケもしたいなあ」と思っていたところ、隣のコートからひとりの男性が近づいて来て、「河津じゃない」と、声を掛けてきました。ビックリです。私はその男性に記憶がありません。すると彼は、「俺も河津やん」と言うのでなおさら驚きです。よくよく聞いてみると彼は、中学時代地区大会で対戦した相手チームのメンバーだったらしく私のことを憶えていた様です。 この事が私と「けっとバス」の出逢いでした。1980年の出来事です。

創設者は、当時NHK福岡に勤務していたツツミさんです。設立して間もなかったと記憶しています。当時ツツミさんにサークル名「けっとバス」の由来を聞いたことがあります。ツツミさんが中学生の頃 友達が「バスケット」「バス ケット」と連呼していたのを聞いているうち「ケット バス」に聞こえたことからサークル設立時に「けっとバス」と決めたとのことでした。

 ツツミさんがNHK宮崎へ転勤後、私がサークルを引き継いで現在に至っています。 連絡がとれなくなってしまったツツミさんには、承諾なく掲示することや内容の相違については、ご容赦とご理解の程 お願い申し上げます。

「けっとバス」との出逢いは、ミニバス指導・中学部活指導・障害者との親善試合と私の人生に大きく影響を与え多くの素晴らしいバスケの仲間との出逢いの場となっています。  
出逢いが、私の心と体を健全にしてくれています。

福岡第一高校井手口先生の指導を尊敬しお世話になっています。

 また、当初次郎丸中学校体育館利用に際して、福岡大学応援団の大先輩であられる井上祐三様及び当時の田代校長先生 有田公民館石橋館長の尽力により充実した活動ができるようになりました。感謝すると共にお礼申し上げます。

ここまで永く活動を続けてこれたのも多くの諸先輩関係者のご支援とご協力のお陰と思っています。心より感謝いたします。

「けっとバス」は、私の「こころ」を満たし豊かにし、私にとって財産であり、仲間は、誇りです。
今後とも生涯スポーツとして楽しんでいこうと思いますのでよろしくお願い致します。

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